タイタニック号の沈没について
   建造中の姿 スミス船長 事故想像図
 何を血迷ったか…とお叱りを受けるだろうと思いながら、この記事を書いています。何故?それはこの事件の事
実を知れば、知るほどに「馬鹿な!」とか「起こるべくして起こった事故なんだ」と思わざるを得ないのです。
 私たち海を愛するモノにとっては、絶対真似をしてはいけない、いわば反面教師のようなお手本でしょう。
 その内容の幾つかを下に紹介させてもらいます。ぜひ今後の教訓としていただきたい話ばかりです。
  タイタニック号の事件のあらまし
イギリスを出航、フランス、アイルランドを経由、アメリカに向けて初女航海に出かけたタイタニック号は1912年
4月14日(日)午後11時30分再三警告されていた氷山に衝突、船が割れ、浸水、沈没した。乗客乗員は2,208人。救助
されたとされる人数は705人。この数さえ不確実である。長期に渡る査問委員会での証言も嘘が多く、紛糾した。安
全性を無視したこの船のホワイト・スター・ライン社は経営が悪化し、救助したカルパチア号の船会社にやがて吸
収されて行く。

1.出発前からこの船は火災を起こしていたのですが、そのまま出航したのです。10日間も燃えていた石炭庫付近が浸
  水の箇所でもあったのです。
2.2日前の氷山警告を14日の朝に受け取った。乗り込んでいた社長に見せて取られてしまった。ようやく取り返した
  のは、午後7時。衝突まで4時間と少しだった。
3.駄目なスミス船長は巡洋艦との衝突をはじめ3回の座礁、3回の船内火災を大したことではないと猛語している。
4.6人もの見張り役が2人ずつ4時間交替で働いていたのだが、監視するための双眼鏡が無くなっていた。
5.ニューヨーク到着時刻は水曜朝5時。20ノットで航行しても十分なのに、なぜか22〜23ノットで航行した。宣伝目的
  で危険なスピードを上げたのか?
6.カルフォニアン号は氷に閉じこめられ、エンジンをとめて漂っていたし、氷山警告を直接発信しているが無視され
  ていた。客の無線連絡で忙しいといわれ自局の無線装置も止めてしまった。沈没地点から16kmの所にいたが何も知
  らなかった
7.救命ボートは65人乗りが20隻だけ。(この時代、乗客数の1/3あれば良かった)救命胴衣は3,560個積んでいた。
  しかも、1号ボートは12人しか乗せないで下ろしている。何と非情な話であろう。
8.客の差別が大きかった。3等客室の客は上の客室に上がれないゲートで仕切られていた。ボートでの避難は上に上
  がる必要があった。しかし全くの不案内であった。また3等の客は下層階級の人が多く、唯一の英語も分からなかっ
  た。 (救命率:1等船客女97%男33%  2等船客女86%男8%  3等船客女46%男16%  乗務員22%)
9.氷山と衝突後も警報や誘導が無かった。救命ボートが下ろされたのは40分後だった。
10. 衝突後35分経ってから無線で遭難信号を出した。それでも客に知らせていなかった。連絡手段も無かった。
11. これまで浮沈船の宣伝が徹底していたので客もボートに乗りたがらなかった。殆どが30人程度でボートを下ろした
  船員の教育も徹底していなく、ロープが切れると思っていた者もいた。
12. ボートで海の中の人を助けることはボートの危険を増すことになると非情な救助感覚が支配していた。18隻中で13
   名を引き上げたに過ぎない。マイナス2度の海の中でボートを見て、叫びながら沈んでいった人も多かった。
13. 何隻も付近に船がいたのに、救助活動は(到着までに4時間も必要な)遠く離れていた1隻(カルパチア号)のみだ
  った。14ノットで巡航中のカルパチア号は必死に釜を焚いて17ノットで駆けつけた。付近にいたと思われる12隻の
  船のうち救助に向かったのは4隻だけだった。
・救助に向かったカルパチア号のロストン船長は英雄視された。タイタニック号のスミス船長には多くの批難が集中
 している。結果ホワイト・スター・ライン社は安全性を重視したキューナード社に吸収されていくのである。
・その後、無線は24時間体制の義務化。階級別の避難体制の廃止。乗員全員が乗れる救命ボート装備などが改正され
 ることになった。