〔佐渡の民話〕
竜王岩(両津湾) 両津湾の入り口の姫崎灯台の先に小さい岩が見えます。佐渡へ流された順徳上皇があ る日、姫崎付近で舟遊びをされました。上皇は佐渡山脈を眺め、美しさにうっとりして いる内に、誤って短刀を落としてしまいました。上皇は悲しみ、侍従に探させましたが、 見つかりませんでした。 悲しみのあまり「束の間も身に離さじと思ひしに 波の底にもさや思ふらむ」と一首詠 み帰ろうとした時、海中から竜王が刀を捧げて現れ上皇に差し出しました。 上皇は大変喜び、竜王が姿を消したこの岩を「竜王岩(りゅうおういわ)」と名づけ ました。また、一説には、池蔵人(いけのくらんど)が上皇を慕い水津まで来たが、海 が荒れて上陸できませんでした。その時、持っていた短刀を海に投げ込み竜王の怒りを 鎮め、無事上陸できました。この刀は、後に漁師によって引き上げられそこの岩が竜王 岩だとも言われています。この短刀は今でも、河崎神社に保存されているそうです。 風島弁天(水津) 両津市片野尾集落から北に約700メートルの海上に磯続きの巨厳があります。 これを「風島(かざしま)」と呼び、頂上に弁財天をまつってあるので「風島弁天」と 言われます。 また、地元では「片野尾の弁天」とも呼ばれています。温暖な南佐渡だけに松の緑が 美しいです。 風島弁天にはこんな話が残っています。承応(1652年)のころ、片野尾村の長(おさ) の息子、小藤内が眼病にかかり一向に治りませんでした。 彼は盲人となって親に心配をかけるのであれば、いつも信仰する弁天様に祈願をこめ、 それでも治らない時は身を投げて死のうと決心しました。 友人に手を引かれ頂上に登り、一人21日間祈願しましたが、眼は開きませんでした。 そして、自分の家の方向に手を合わせ、両親にご恩を謝し海に飛び込みました。すると、 海から大風が吹き上げ、静かに地面に落ちました。そこは赤泊村莚場でした。 村人に介抱され家に送り届けられた小藤内は眼病も治り、その後長寿をたもったという ことです。 「弁慶岩」(両津・片野尾) 道路から見えるこの巨大な岩は、「弁慶岩」と言われています。 片野尾の右門太郎(えんたろう)家前にあったものを、弁慶が運んできたもので、途中 足跡があるとの言い伝えもあります。 道路に面した窪みは背中の跡、海に面した大きな窪みは綱の跡、と弁慶の剛力のほどが 今日に伝えられ、かつて道路の向かい側に義経岩もありましたが、道路工事により無くな ったそうです。また大正5年7月この地を訪れた詩人 巌谷小波が「弁慶の涙か岩に春の雨」 と詠まれた句がこの岩に趣を添え、地元の人たちにも親しまれています。![]()