グアムヨットレース事故から学ぶもの
古い本を見つけて読んでいます。 1991年の年末から新年にかけて行われた「トーヨコカップ ジ ャパン→グアムヨットレース'92」に参加していた「たか号」 「マリンマリン」は台風並みの強風と大波にもまれ遭難した。 2艇とも助かった者はそれぞれ1人だけ。彼らの証言により、様 々な問題が明らかになった。 20年も前の出来事なので、ヨットライフを考える上で、取り 上げ、今後の参考にさせてもらおうと思う。 [経過] 12月26日小網代湾沖を9艇が出発 27日には2艇がリタイア。
たか号 マリンマリン(左本表紙) 29日1人死亡,転覆,6人はライ フラフトに 1月6日海保が捜索開始 10日1人死亡 11日3人死亡 16日1人死亡 25日佐野さんを貨物船が発見 27日 1人落水死亡 30日転覆4人死亡、4人行方不 明、久保田さんを救助 (この時バラスト脱落) 13本のボルト破断か (写真はマリンマリン曳航作業) 【当時問題視されたこと】 1.出航準備に余裕が無かった。(準備は10日〜26日までかかっているが、完全ではなかった。) 普通、半年はかけるものだと言われている。 2.無線機やイーパブを積む船舶局の免許を持っていなかった。 3.低気圧の急激な発達で大荒れとなる天気予報だった。(東京も初雪が降った) 4.27日に横須賀海上保安部から中止の勧告が本部にあったが、レースは続行された。 (中止させる法的根拠無し) 5.外洋ヨットは不沈、不転という神話が染みこんでいた。レース艇は安全をないがしろにし たスリムでスピードのみを求める傾向がこの時代続いていた。 6.29日転倒した「たか号」の中でイーパブを初めて使おうとしたが、バッテリー接続されて いないことに誰も思い至らなかった。事前点検がなかった。以前使っていたアルゴスを費 用の面から採用しなくなった。 7.水没した艇を早くに見限り過ぎたかも知れない。 8.根拠の無い無事情報があふれていた。無線連絡も途絶えていたのだから、もっと早くに遭 難を予感することが出来た筈である。 9.マリンマリンは巡視艇が曳航出来なかった状況下で漂泊となった。八丈の東側での漂泊は 危険。移乗を考える方が結果的に良かった。 【佐野さんが助かった理由は】 * 想像できること 1.精神的に強靱だった。現実を直視し、判断する力が飛び抜けていた。思ったことは口に出 して表現し、胸にためないでおく人柄。武市さんが良きリーダーとして精神的な支えにな っていた。 2.臓器の健康度が平均で、どれかが悪くて機能不全になるような事がなかった。 3.水分の補給にいち早く自分の小便を呑むことが出来た。(他の人は出来なかった)