海の昔話から

順動丸の動輪(クランクシャフト)のこと
 「文久3年、坂本龍馬ら後の海援隊メンバーを伴った勝海舟が幕
船順動丸に乗って下田港に入港する…」などと華々しい記録がある。
 この順動丸の動輪が錆び果てて、寺泊水族館の入り口に左右飾
られているのをご存知であろうか。
 その理由は戊辰戦争時、次のようなことがあったのだ。

 寺泊の沖に徳川幕府所有の蒸気船「順動丸」が慶応4年(1868)
5月24日、薩摩の「乾行丸」 と長州の「丁卯丸」の攻撃をうけ破船
し、翌日自爆した。
 順動丸は榎本艦隊に属し、北越戦線支援のため回航されたが、
座礁前応砲僅か2発と記録されている。これにより、東北・北越諸
藩の制海権が失われた。
船 名原 名船 形船質馬力幅×長屯数製造国
順動丸ジンキー蒸気外車36072.0×8.1405英国
 後に解体引き上げし、現在そのエンジンのシャフトだけが水族館
の外にある。(水族館の看板には誤記があるので注意)

幕末の船については  http://www.d4.dion.ne.jp/~ponskp/bakumatsu/kansen.htm
<雑学  龍馬といえば>
 日本最初の海難事故
坂本龍馬が借用したいろは丸は
明光丸と衝突。明光丸の不注意
だけでなく、両舷灯が無かったい
ろは丸にも原因があるとされてい
る。しかし龍馬は計算高く賠償を
迫った…
 伊予大洲藩(現在の伊予市)がもつ伊呂波丸は薩摩藩 購入船で
あった。後、坂本龍馬が大洲藩より借受け運行。
 慶応3年(1867)4月23日夜半、備中鞆の浦近海で、紀州 和歌山藩
船・明光丸と衝突し沈没。日本最初の双方蒸気 船衝突事故とな
った。
龍馬はこの訴訟賠で7万両を請求し、結局海援隊にも 1万両が転
がり込んだとされている。今の金額にして4千万円程度であろうか、
ビックリ。 画像は交渉宿や遺品、案内図など…  (文責:マーリー)